今日の東京新聞

購読している東京新聞の記事を紹介します。読者の応援ブログです。

太陽光、猛暑に威力 最高気温更新でも発電安定

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太陽光、猛暑に威力 最高気温更新でも発電安定/1面

 記録的な猛暑が続いたこの夏、冷房を使う機会が増える一方で、東京電力管内の電力需給は、深刻な逼迫(ひっぱく)に陥った日がまだないことが分かった。太陽光発電の発電量が増え、節電の浸透で電力消費自体も減っていることなどが要因だ。東電管内で稼働している原発はゼロでも猛暑の日を乗り切っており、「電力の安定供給には原発が不可欠」とする政府や電力業界の主張はその根拠が薄らいでいる。 (伊藤弘喜)

 

翁長さん遺志、私たちが 議員会館前「辺野古NO」/23面

 沖縄県名護市で計画されている米軍の辺野古(へのこ)新基地建設に反対する抗議集会が19日、東京・永田町の議員会館前で開かれた。2700人(主催者発表)が参加し、今月8日に急逝した翁長雄志(おながたけし)・沖縄県知事を悼み、改めて基地のない沖縄を訴えた。

明治150年 賛美は危険 五日市憲法発見50年

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明治150年 賛美は危険 自由、民権重視 五日市憲法発見50年/1面

 明治期につくられた民間の憲法草案「五日市憲法」が東京都五日市町(現あきる野市)の土蔵で発見されてから、今月27日で50年となる。発見のきっかけとなったのは、明治以降100年間の日本の歩みを賛美する政府の歴史観への疑問。この憲法を土蔵の中で最初に手にした新井勝紘(かつひろ)・元専修大教授(74)は、今の明治150年関連施策も輝かしい発展を強調するばかりで、戦争への反省がないと警鐘を鳴らしている。(高山晶一)

 新井さんによると、土蔵調査のきっかけは50年前の「明治100年論争」。佐藤栄作首相(当時)らが、西欧に追いつき追い越そうと励んだ100年間をたたえて多くの記念事業を行ったのに対し、「戦争を繰り返してきた100年間が、国を挙げて祝う歴史なのか」との反論が出ていた。
 東京経済大4年生だった新井さんが所属する色川大吉ゼミ(日本近代史)も、この問題に直面。「地域で暮らす人たちの視点で100年を検証しよう」と、「開かずの蔵」といわれていた旧家の土蔵を調査し、出てきたのが五日市憲法だった。


「明治の立憲主義に学ベ」五日市憲法を研究/新井勝紘元教授に聞く/2面

 50年前の土蔵調査で五日市憲法を最初に手にした新井勝紘・元専修大教授に、歴史との向き合い方などを聞いた。 (聞き手・高山晶一)=1面参照

改憲の動きに疑問
 ―調査した土蔵に、五日市憲法が眠っているとは知らなかったのか。
 「自由民権運動のころ、五日市町(現東京都あきる野市)の旧家・深沢家は、東京で出版された書籍をことごとく購入して民権家に読ませていたという記録がある。その書籍が土蔵に眠っている可能性はあると思っていた。調査で、3階にあった文箱から『日本帝国憲法』と記された24枚つづりの和紙が出てきたが、大日本帝国憲法の写しで、『大』の字が虫に食われたんだろうと(笑)。オリジナルの憲法草案とは夢にも思わなかった」
 ―五日市憲法は、多くの人権規定で知られる。
 「学ぶべきものが大いにある。『国民の自由と権利を守るためにこそ憲法がある』という立憲主義が、五日市憲法には明確に表れている。今後、憲法を改正するかどうかという局面になった場合、150年前に私たちの先祖が『こういう憲法にしてほしい』と願ったことをすくい上げ、判断基準としていく必要がある」
 ―五日市憲法は、地域の人たちが草の根の議論を重ねてつくり上げた。安倍晋三首相が主導する今の改憲論議と比べてどうか。
 「確かに違う。国民と離れたところで進めている今の改憲の動きは非常に疑問。五日市憲法はすごく自由な雰囲気で議論していたことが文献で分かっているが、今は憲法を守る集会を公共施設でやるだけでチェックされてしまう」
 ―五日市憲法をつくった人たちの、政治参加への熱意はどこからきたのか。
 「幕末、永遠と思われた権力が崩壊するのを見て、政治は遠くないと感じたのだろう。今は選挙で政権を覆すことができる時代なのに、政治が自分たちに近いところにあるという実感がない。そういう意味でも、あの時代には学ぶべきものがある」
 <略>

<あらい・かつひろ> 1944年、東京都生まれ。東京経済大で色川大吉教授に学び、地域の歴史調査で五日市憲法を最初に手にした。町田市立自由民権資料館主査、国立歴史民俗博物館助教授、専修大文学部教授などを歴任。専攻は日本近代史、自由民権運動史。著書に「五日市憲法」(岩波新書)など。

 

変わるお墓の形 故人をしのぶメッセージ・英国

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雇用水増し 指定医以外も障害者認定/1面

 中央省庁が雇用する障害者の数を四十二年にわたり水増ししていた問題で、国のガイドラインで指定していない医師が作成した診断書などの無効な文書を根拠に、障害者数に算定していたケースがあることが十七日、分かった。国の障害者雇用制度は障害者手帳を持つ人と、指定した医師の診断書がある人を対象としているが、中央省庁が十分に確認せず、ずさんな運用を続けていた疑いがある


世界の暮らし 変わるお墓の形/8・9面

 故人や先祖に思いをはせる機会が増える8月。墓参りをして、感謝や供養の気持ちを示した人も多いだろう。弔い方は、その国・地域の風土や歴史、宗教と密接に関わる。ところが最近は、世界的に墓事情が変わりつつあるという。何が起きているのか。

故人しのぶメッセージ・英国
 ロンドンの公園でベンチに腰掛けると、背もたれに小さなプレートが付いていることがほとんど。人名と生没年とともに「すばらしい父でした」などと短いメッセージも添えられる。緑を眺め、会ったことのない故人に思いをはせる。
 記者が住むロンドン西部のイーリング区担当者に尋ねると、遺族は鉄製ベンチで1450ポンド(約21万円)、木製で950ポンドを払えば設置できる。近辺のお墓の相場は2700~5400ポンド(墓石は除く)と高額。「お墓代わりにベンチを設置する人も多いのでは」と担当者は話す。
 故人をしのぶにはこの上ない方法だが、ベンチの下に骨つぼを埋めるわけではない。英国人は遺灰をどうしているのか。「多くの人は単に火葬して散骨しています」と、お骨の扱いを請け負う会社を経営するリチャード・マーチンさん(50)は説明する。
 土葬が主流だった欧州でも、宗教の縛りが緩い英国では今や約4分の3が火葬。実利性を重んじる英国人は「墓は手間がかかり、家からも遠く、面倒だと考えがち」といい、納骨場所の確保にこだわる人は少数派のようだ。
 マーチンさんによると、英国の火葬場には慰霊の庭が併設され、かつてはそこに残してくるのが主流だった。しかし「今は8割方の還族は遺灰を持ち帰り、故人を思い出すのにふさわしい場所にまく」という。
 2016年に亡くなった英ロック歌手デビッド・ボウイさんもインドネシア・バリ島で散骨された。散骨方法もここ数年で多種多様に。飛行機や気球だけでなく、打ち上げ花火に混ぜてまく方法も。 一方で遺灰を身近に置きたいという人も多く、 一部を自宅に保存するほか、庭にまいて記念植樹する人も増えている。
(ロンドン・阿部伸哉、写真も)

キャンベルさん発言に共感 ネットで広がる

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障害者雇用  省庁水増し 義務化当初から42年/1面

 国土交通省総務省などの中央省庁が義務づけられた障害者の雇用割合を42年間にわたり水増しし、定められた目標を大幅に下回っていたとして、政府が調査を始めたことが16日、分かった。複数の政府関係者が明らかにした。

 f:id:a-tabikarasu:20180818120233j:plain 3面/2018.8.17

キャンベルさん発言に共感 ネットで広がる/3面

 インタビューやブログを通じて性的少数者LGBT)への無理解を露呈した政治家の発言を批判し、自身の性的指向を公表した日本文学研究者のロバート・キャンベルさん(60)に対し、共感や感謝する声がインターネットで広がっている。
 ツイッターでは「この気持ちを公にしてくれてありがとう」「皆が生きやすい国になってほしい」といった投稿が相次いだ。LGBTの当事者だけではなく、さまざまな困難を抱えた人、そうした人に共感し、支援したいと考える人も声を上げているようだ。
 キャンベルさんは「それぞれ思い思いの立場で考えを深めるきっかけになりつつあるのではないか」と歓迎している。
 キャンベルさんは14日の共同通信のインタビューで自身が同性愛者であることを明かした上で「(性的指向は)自分の中に通底する一つの芯のようなもの」「『直せばいい』という論理は多くの人の苦しみを助長する」と語った。インタビューに先立って公開されたブログでも「ふつうに、『ここにいる』ことが言える社会になってほしい」などとつづっていた。

 日本文学研究者のロバート・キャンベル東京大名誉教授のインタビュー詳報は次の通り。

 <ブログコメント>次のリンクは、東京新聞8月15日掲載の共同通信インタビュー記事。

空気を読まない生き方 対談/鴻上尚史・村田沙耶香

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平成最後の戦没者追悼式/1面

 終戦から73年となった15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区日本武道館で開かれた。天皇陛下が来年4月末に退位されるため、平成最後の追悼式になった。全国から集まった約5200人の戦没者遺族が参列、先の大戦で犠牲になった310万人を悼み、平和への誓いを新たにした。

 

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空気を読まない生き方 対談・中/鴻上尚史(作家演出家)・村田沙耶香(作家)/6面

村田「息苦しくて死も考えた」 鴻上「いじめは逃げろが浸透」
 鴻上 <略>僕はよく「こんなに便利でこんなに息苦しい国はない」という言い方をします。村田さんは、これまで生きてきた中で息苦しさを感じてきましたか。
 村田 子供のころは、場の空気を乱さないためにはどうすればいいかを常に考えていました。攻撃されて自分の心が回復不可能に傷つけられることが、怖かったんでしょうね。特に中学校のころは、本当に息苦しかったです。信じられる、相談できる大人は誰もいなくて。中学生ってわりとそうだと思いますけれど、死のうと思ってました。
 鴻上 うん、うん。サラッと言ったけど(笑)。僕も死のうとは思ってたけど、たぶんクラスで少数だと思うよ。普通に死のうと思ってる人は。
 村田 中学3年生のときに一番死にたかったんです。卒業式の1週間後あたりを死ぬ日と決めて、あと100日、あと99日、ってカレンダーを塗りつぶしていって。
 鴻上 どうして、カウントダウンゼロに行くのをやめたの?
 村田 はい、ゼロに行ったら死んじゃうから。卒業式さえ乗り越えればと自分で自分をだまして、あと80日、あと79日って…。中学校の人が誰も行かない高校を受験して、合格して、卒業式が終わったらそのカレンダーを捨てて、それで生き延びました。すっごく良いアイデアだなって思って広めようと思ったんですけど、あまリニーズがないみたいで…。
 鴻上 はは(笑)。でも高校になってからは楽になったんですか?
 村田 すごい楽になって。みんな優しくて、すごいしゃべってくれるし、田舎でほのぼのとした高校で。席替えが怖くないってこういう感じかって、初めて分かりました。
 鴻上 だって村田さんの小説『しろいろの街の、その骨の体温の』の席替えの描写とかリアルですよね! 僕も中学校2、3年のころがつらくて凶悪な顔をしていた。その時は安部公房が好きで。大江健三郎が好きなやつを見つけた。いろいろしゃべれる相手がいたから随分気持ちが楽になったりしました。
 村田 高校、大学と進むと世界が広がって、楽になりますよね。
 <略>
 村田 中学校のとき、教室で何となく笑われたり、からかわれたりしていた子を、私は怖くて安全な場所で見過ごしてしまいました。自分の汚さを今も忘れられないし、その罪は一生背負っていこうと思います。
 私は特にいじめられていたわけではないですが、グループから弾(はじ)かれてしまい、その時に死のうと思ったんです。違うグループに入れてもらえましたが、逃げられる場所は死だけだと思った。私にひどいことをした人を告発するには、死ぬしかないとも思いました。
 死ななかったのは、カレンダーの日付を消しながら生きたおかげでもあるんですが、相手を告発してもその子は笑うだけだと感じて無駄だと思い直したからです。
 鴻上 いじめについては2006年に新聞に「いじめられている君へ 死なないで 逃げて逃げて」というメッセージを書きました。その当時の反応は賛否半々で「逃げろなんてなにごとか」「闘え、ってなぜ大人なのに言わないんだ」と大真面目に反論してきた人たちがいた。だいたい男性の、功成り名を遂げた人とか、(精神的に)マッチョな人だった。お母さん側からは「よく逃げろって言ってくれました」と。
 <略>
 村田 私もやっぱり逃げてほしいと思います。逃げるには大人の手が必要なときもあるので、SOSを出す必要がありますね。
 私は当時、「いのちの電話」にも掛けましたが、うまく状況を説明できなかった。性的な目的の男性ならうそでも優しくしてくれると思って、テレクラにも電話しました。私はたまたま無事でしたが、とても危険な行為だったと思います。インターネットなどでは怖い人もいると思うので、きちんとした相手を見きわめてSOSを出してほしいと思います。

 

<ブログコメント>2人の「逃げろ」「逃げよう」の呼びかけから、この人の歌を思いだしました。

今日は終戦の日 「戦場はむごたらしい」池田武邦さん

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今日は終戦の日  つなぐ戦後73年  「戦場はむごたらしい」池田武邦さん/1面

 太平洋戦争でマリアナ沖、レイテ沖、沖縄海上特攻という3つの海戦を生き延び、戦後は建築家として霞が関ビルの設計に携わった元海軍士官の池田武邦さん(94)=東京都東久留米市終戦記念日に合わせて本紙の取材に応じ、「戦場はむごたらしかった。『壮烈なる戦死』なんて華々しさはなかった」と戦場の凄惨(せいさん)な現実を明かした。=インタビュー12面

終戦の日特集/池田武邦さんインタビュー12面、平和の俳句特集17面

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<ブログコメント>今日の東京新聞は、真ん中の13、14、15、16の4面がテレビ、文化娯楽、BSラジオ欄。この4面(大紙1枚)は抜き取って活用するのが東京新聞の正しい使い方。テレビ欄を抜き取ると、12面と17面が隣り合わせになる。この見開き、今日は終戦の日特集でした。12面は、1面記事で紹介した池田武邦さんのインタビュー。17面は、終戦記念日1日限定で復活した「平和の俳句」特集。寄せられた作品は7349句。いとうせいこうさん、黒田杏子(ももこ)さん、夏井いつきさんがそれぞれ10句を選んでいます。

公文書管理法 「見える化」とは真逆の事態

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自民党総裁選 9条優先度 争点に/1面

 安倍晋三首相は12日、地元の山口県下関市での講演で、憲法9条の1、2項を維持した上で自衛隊を明記する自民党改憲案について「次の国会に提出できるよう取りまとめを加速すべきだ」と語った。9月の党総裁選や秋に召集予定の臨時国会に向け、改憲議論を進める考えを示した。総裁選に立候補表明した石破茂元幹事長は9条改憲を優先しない考えを示しており、9条改憲の優先度が総裁選の主要争点となってきた。

 

見張り塔から/公文書管理法「見える化」とは真逆の事態 専修大教授・山田健太さん/4面

改正を早急に実現すべき
 1年半前の連載第1回は情報公開だった。意思決定の透明性確保が社会の大前提となったいま、知る権利の実効性を高めることが、21世紀の表現の自由の大きな課題であると考えたからだ。その基本として、公権力とりわけ政府・政治家の行状を記録としてきちんと残し、整理し、保管することが必要不可欠で、公文書管理の肝だ。
 しかしこの間の文書の隠蔽(いんぺい)、廃棄、改竄(かいざん)は、こうした基盤を完全に崩壊させた。その理由は、法制度そのものの欠点、運用の誤り、意識の欠如の複合だ。
 <略>
 第1に、「行政文書」とは何かである。作成時点においては個人的なメモであっても、その会議や打ち合わせ等の記録がそのメモしかなければ、これが会議の記録であり、行政文書だ。しかし、多くのメモや交渉まとめなどが、「公式でない」という一方的な解釈で行政文書に認められないままだ。あるいは、多くの会議体で議事概要がつくられているが、その場合に、基となる速記録もしくは録音テープは、議事概要が完成した段階で行政文書ではなくなるという珍解釈がまかり通っている。
 第2に「公人の職務上の上の業務」とは何かである。首相夫人秘書官が最たるものだが、公務員がその肩書の下で業務として行った行為を、私的行為であるとすることが、事実上確定してしまった。財務省調査でも、交渉記録は正式に廃棄後も個人の手控えとして私的に保存しているとしているが、業務上必要で保存しているものを、私文書扱いすること自体が間違いだ。
 第3は「電磁的記録」の扱いだ。メールのやりとりも、ローカルのコンピューターに一時記録させているデータに始まり、共有フォルダーに入れているものまでも、メールは原則、私的メモと同じ扱いで保存の対象から外れることになりそうだ。
 そして、第4に、政治家関係者との交渉記録など、大切なものほど記録にとらない、とっても残さない、残していても公文書扱いしない、という「慣習」が固定化してしまうことになった。そして意図的に、「政治レベルの政府活動」を行政文書の対象から除外してきたことがわかった。
 こうした基本的な問題が山積している規定・運用方法を、新ガイドラインとして胸を張ること自体、政府は恥ずかしくないのか。国会もウソ答弁に振り回された経緯からすれば、そのおおもとをただすべく、公文書管理法の改正を早急に実現すべきだ。(毎月第2火曜日に掲載)