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視点・沖縄から 琉球国の存在認めよ

視点・沖縄から 琉球国の存在認めよ 友知政樹氏/4面

 1879年まで琉球国琉球王国)という日本とは異なる独立国が存在していたことは、周知の事実だ。その証拠として、例えば54年の琉米修好条約、55年の琉仏修好条約、59年の琉蘭修好条約などがある。
 さらに、今日の米国務省のホームページには、「19世紀まで琉球は日本とアジア大陸を結ぶ中継貿易にたけた独立した王国であった」と明記されており、「1879年、日本は琉球諸島を直接的に接収し、それらの島々を日本の一部にした」とも記述されている。
 一方、中国の政府系新聞とされる人民国報(2013年5月10日)でも、「琉球王国は独立国家」と記されており、 「1879年、日本政府は軍隊を持たない琉球王国に武力を派遣して強制的に併呑(へいどん)し、沖縄県と改称した。これが日本史上、聞こえの良い言葉で言う『琉球処分』である」と論じられている。
 しかし、琉球国がかつて独立国であった事実を認めない政府がこの世界に存在する。他でもない、日本政府だ。
 沖縄県選出の照屋寛徳衆院議員が、政府に対して「琉球王国の歴史的事実と認識に関する質問主意書」(2015年2月25日)を提出し、いわゆる「琉球処分」の際の独立主権国家である琉球国に関する認識をただした。これに対し、安倍晋三首相は閣議決定された答弁書(15年3月6日)で、「御指摘の『琉球王国』をめぐる当時の状況が必ずしも明らかではないこともあり、お尋ねについて確定的なことを述べることは困難である」と返答し、明言を避けた。
 なぜ、日本政府は琉球国が独立国だったという事実を認めないのか。政府がそれを認めてしまえば、琉球国がどのように日本の一部である沖縄県となったのかを合わせて説明しなければならず、それを避けたいためだろう。つまり「琉球処分」は実際には日本政府による琉球国の武力併合であり、それは当時も今も国際法違反であることを日本政府は知っており、それをうやむやにしたいためではないだろうか。この「琉球処分」が起点となり、日本の琉球国に対する植民地支配が始まり、沖縄を捨て石とした「沖縄戦」につながり、今なお続く「基地問題」が存在する。
 日本政府のこのやり方は、国連の「自由権規約」や「先住民族の権利に関する国連宣言」にも違反し、人権問題だ。国連が日本の人権状況を点検する普遍的定期審査(UPR)が今月開催される。県民雄志で作る「琉球民族独立総合研究学会」の指摘により、独立国としての琉球国の歴史的存在を、日本政府が無視している問題も審査対象となる。注目したい。(ともち・まさき=沖縄国際大教授)

日銀「出口のリスク」高める 「ハロウィーン緩和」3年検証

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日銀「出口のリスク」高める 「ハロウィーン緩和」3年検証/3面

 日銀は31日、金融政策決定会合で金融緩和策の維持を決めた。この日は、国債の買い入れ量を大幅に増やす「ハロウィーン緩和」を決めてから3年の節目。当時はバズーカ第2弾ともてはやされたが、今や緩和を終える「出口」に多くの不安を抱えるきっかけになったと多くの識者が指摘する。アベノミクスの柱となる金融緩和の「分かれ道」となった決定を検証する。(渥美龍太)

国債暴落 税金投入の恐れも
変わらぬ強気
「(国債買い入れ増などの)非伝統的な金融政策だから、出口が必然的に難しくなるわけではない」。黒田東彦総裁は31日の決定会合後の記者会見で、ハロウィーン緩和の出ロヘの悪影響について否定的な見方を示した。
 日銀の金融緩和は民間銀行から国債を大量に買い入れ、代わりにお金を渡して世の中のカネ回りを良くする政策だ。2013年の開始時に国債を年50兆円買い増す目標を、ハロウィーン緩和で年80兆円とした。政策委員会のメンバー9人のうち4人が反対した。
 3年後、日銀が保有する国債の比率は発行残高の4割を超えた。国債は政府の借金証書。日銀が爆買いしてくれることで、先進国で最悪の財政でも政府が財政再建目標を先送りできるほど、感覚をマヒさせた。
 当時反対をした日銀元審議委員の木内登英氏は「出口のリスクが大きく積み上がる分岐点だった」と振り返った。この日の現状維持の決定は大勢の委員が賛成し、ただ1人反対した片岡剛士氏は緩和強化を求めた。政策委で木内氏のような慎重論は消えている。

国民に説明を
 では、出口のリスクとは何か。割高に国債を買いすぎた影響で日銀に損失が発生する見通しで、損失の穴埋めに税金が投入される可能性がある。また、規律が緩んだ国の財政を「もたない」と市場が判断すれば、国債価格の暴落などの混乱が避けられない。
 市場の国債は徐々に枯渇し、国債金利を基準とする世の中の金利が乱高下する懸念もある。本内氏は「日本発で金融危機が起きるリスクを生んだ」と話す。
 日銀はこの日、物価上昇率の見通しについて、 17年度を従来の前年比1.1%から0.8%に引き下げた。最近の物価上昇の勢いが鈍いことを反映させた。目標とする物価上昇率は2%。これまで達成時期を6度も延長し、今の想定は19年度ごろだ。目標達成まで金融緩和を続ける方針で、国債買い入れが長引くほどリスクが高まる。
 黒田総裁はハロウィーン緩和時の会見で、「出口戦略を議論するのは時期尚早」と説明したが、3年後も「出口にさしかかったら議論する」と同じだった。リスクを語らぬ姿勢は変わっていない。
 日銀元理事の早川英男氏は「厳しい出口の現実を国民に説明し、政府には財政の再建を言及すべきだ」と提言している。

伊藤比呂美の万事OK よろず相談「娘の苦悩」

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伊藤比呂美の万事OK よろず相談「娘の苦悩」/25面

娘の苦悩つらすぎる
Q 娘は小学生のころから不登校ぎみで、中学校では特別支援学級に通いました。この春高校に入学したものの、すぐに行かなくなりました。夫は自分の価値観を押し付け、夫婦で娘のことを考えられません。娘はリストカットまがいのことをし、心配で夜も眠れません。頼れる身内もなく、人に話すと私が甘やかしているからだと言われます。(50代女性)

顔をそむけずに話をよく聞く
A いいですか。これからあたしが言うことはあなたに対する批判じゃありません。あたしはあなたに共感しながら隣に座って話していると思ってくださいね。リストカットは、親から見るとコワくて気味の悪いくせですが、実はたいていの場合、それでストレスを放出させてるのです。たいして痛くもありません。大げさに対応せず、平然と見守る方がいいとあたしは思っています。
 お手紙の中にこんな一文がありました(相談文には割愛)。
「受験すると決めたのはみんなと同じ体験をしてほしいとの思いでした」
 これはあなたの気持ちで娘の気持ちじゃない。困り果てた母の気持ちが、娘の気持ちを置いて先走っています。ここは意識して一歩後ろへ下がって、娘が何を考えているのか考えてみてください。
 いや、もう考えてる、考えすぎていっぱいいっぱいよ―とあなたは叫びたいだろうなと思いますが。子どもの苦を前にすると、親はほんとに無力で非力。悲しいくらい。でもおうおうにして、親は見ているつもりで見てなかったりするんです。目の前で苦しむ子の苦しみを見たくなくて、つい顔をそむけてしまうのも親心…。
 親にしかできないことは、この子をじっくり見て話を聞いてやることだと思います。娘が何をしたいか、娘が何がつらいか、娘が何を苦しがっているか。つらくて苦しくて悲しいことはまちがいがないです。親だってものすごく苦しいですが、娘は本人ですからそれ以上のはず。
 こどもが泣いてれば、どうしたのと腰をかがめて向こうの目の高さにこっちの目を持ってきて、抱きしめながら、あるいはなでながら、話をきいてやるのが、小さかった頃の母親でした。今もそれをしたらいいんですよ。
 基本はこうです。娘の話をよくよく聞く。甘やかしたっていい。でも親の意見は極力言わない。不登校については焦らない。でも娘の態度がむかついたらその場で怒る。母の態度はずっと同じでブレのないようにするわけです。
 学校に行くか行かないか、実はただの人生の通過点で、たいしたことじゃないのです。いちばん大切なのは、何十年も後、おとなになったどこかの時点で、娘がどんな生き方をしていようと、ふとこう思う、「わたしのおかあさんはわたしをわかってくれた」。こう思えるなら、それがどれだけこの子を、人間として救うかということ。(詩人・伊藤比呂美、イラストも)

 

<ブログコメント>生活面に連載されるよろず相談「伊藤比呂美の万事OK」を紹介します。今回は不登校の娘さんの相談。伊藤比呂美さん、昔、『良いおっぱい、悪いおっぱい』という本が出たとき、おもしろいタイトルの本を出す人だなと思ったこと、覚えています。最近の著作は『閉経記』、『切腹考』など。さて、東京新聞のよろず相談。世間体に流されず、いい人ぶらず、質問者の真意とま正面から向き合い、全力で応えていく。伊藤比呂美の面目躍如(めんもくやくじょ)です。

核なき世界 他に道なし ゴルバチョフ氏 本紙に語る

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核なき世界 他に道なし ゴルバチョフ氏 本紙に語る/1面

 【モスクワ=栗田晃】東西冷戦の終結に指導的な役割を果たした旧ソ連ミハイル・ゴルバチョフ元大統領(86)が、モスクワで本紙の単独インタビューに応じた。30年前の1987年、当時のレーガン米大統領と中距離核戦力(INF)廃棄条約を結び、核保有大国が初めて核軍縮に踏み出した経験を踏まえ、「『核兵器なき世界』に代わる目標は存在しない。核兵器廃絶を成し遂げないといけない」と強く訴えた。

原爆・原発事故経験 日本先頭に立て
 ゴルバチョフ氏は91、92年に長崎、広島の被爆地を訪問した。86年のチェルノブイリ原発事故当時はソ連共産党書記長として事故対策を指揮。2011年に東京電力福島第一原発事故を経験した日本との共通点も挙げ、「原爆投下や原発事故を経験した国は、核兵器廃絶との戦いの先頭に立つべきだ。それは日本と(旧ソ連を継承した)ロシアだ」と強調した。
 また、核兵器を非合法化する核兵器禁止条約の制定に貢献した非政府組織(NGO核兵器廃絶国際キャンペーンICAN)のノーベル平和賞受賞決定を「ノーベル賞委員会は極めて正しい判断をした」と祝福した。
 ゴルバチョフ氏は、核超大国の米口による核軍縮交渉が一向に進んでいない現状を懸念。 1985年11月、レーガン大統領との初の首脳会談後に発表した共同声明に盛り込まれた「核戦争は決して容認できず、勝者はいない」との一文を挙げ、「もう一度この意味を思い出してほしい」と訴えた。両氏は86年にアイスランドレイキャビクで再会談し、INF廃棄条約締結につながった。
 ロシアによるウクライナ南部クリミア半島の併合から始まったウクライナ危機やシリア内戦を巡り、米ロ関係は冷え込み、「新冷戦」と呼ばれる緊張関係に陥っている。ゴルバチョフ氏は「深刻な危機からの出口を探すべきだ。30年前の米ソ対話も簡単ではなかったが、両国の指導者の政治的な意志が決定的な役割を果たした」と指摘。
 トランプ米大統領とロシアのプーチン大統領に「核軍縮に迅速な行動をとるべきだ。米口両国のみが、人類の最も重要な目標である核なき世界を達成できる」と重ねて求めた。

ミハイル・ゴルバチョフ   1931年生まれ。85年にソ連共産党書記長に就任し、ペレストロイカ(改革)やグラスノスチ(情報公開)を推進。米国との間で核軍縮を進め、東西冷戦を終結させた。90年、大統領制導入とともにソ連最初で最後の大統領に就任し、ノーベル平和賞を受賞。91年末、ソ連崩壊とともに退任し、その後は「ゴルバチョフ基金」総裁として講演や執筆活動などに取り組む。今夏にも18作目の著作「楽天家のまま」を出版した。

「被爆者への裏切り」 国連核兵器廃絶決議

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被爆者への裏切り」核禁止条約に触れぬ決議/31面

トロント=共同】カナダ・トロント在住の被爆者、サーロー節子さん(85)は27日、地元で記者会見し、国連の委員会で採択された日本政府主導の核兵器廃絶決議が核兵器禁止条約に言及していないことを「被爆者への裏切りだ。失望を超え、腹立たしい」と強く批判した。

「日本は矛盾」サーローさんが批判
 サーローさんはノルウェーオスロで12月10日に開かれるノーベル平和賞授賞式で被爆者として初めて演説する。賞が決まった非政府組織(NGO核兵器廃絶国際キャンペーンICAN)の「顔」として核禁止条約制定交渉でも被爆体験を英語で語り、重要な役割を果たした。
 核廃絶決議に盛られた核兵器使用の非人道性を巡る表現が大幅に後退したことを「(核保有国の)米国に完全に従属している」と言い切り「日本政府は核兵器の廃絶を目指すと言っておきながら、主張と行動が大きく矛盾している」と非難した。
 核禁止条約に背を向け続ける日本の核軍縮政策に関し「各国が懐疑的になり、信頼を低下させていると感じている」と懸念を示し、被爆国の日本こそが条約に批准し反核運動の先頭に立つべきだと訴えた。
 授賞式での演説は「とても誇りに思うと同時に恐れ多い」と話し「私のメッセージはシンプルで、はっきりしている。(核兵器の被害を)二度と繰り返さないことだ」と強調した。
 サーローさんは13歳の時に広島で被爆。米国留学を経て1955年、カナダ人男性と結婚してトロントヘ移住。原爆の惨禍を英語で訴え続けている。

核廃絶、日先だけ」被爆地広島・長崎落胆の声
 核兵器禁止条約に触れていない日本政府主導の核廃絶決議案が国連総会の委員会で採択されたことを受け、被爆地・広島、長崎から28日、「残念」「核廃絶は口先だけなのか」と落胆の声が漏れた。
 15歳の時に爆心地から約2.7キロの工場で被爆した広島県呉市の中西巌さん(87)は「条約だけでなくノーベル平和賞に決まった核兵器廃絶国際キャンペーンICAN)にも一切触れていないのが実に残念」と政府の姿勢を批判。「世界的な核廃絶の流れの中で、日本の立場は弱くなるのではないか」と危ぶんだ。
 広島市中区平和記念公園を訪れていた同市西区のパート従業員松田清美さん(60)は「日本が及び腰ではいけない。市民レベルからも声を上げなくては」と話した。
 6月に国連核兵器禁止条約の交渉会合を傍聴した長崎市被爆者で元教師の川副忠子さん(73)は「核を一部容認するかのような提案で、禁止条約の理念とかけ離れている。核廃絶のために頑張っているというのは口先だけなのか」と憤る。
 長崎県被爆者手帳友愛会の中島正徳会長(87)も「クリーンな核兵器なんてない。そんなことも分からない日本の政治家は信用ならない」と切り捨てた。

森友値引き 6億円過大 固有地売却 検査院が疑義

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森友値引き 6億円過大 固有地売却 検査院が疑義/1面

国交省積算ごみ撤去費
 学校法人「森友学園」に大阪府豊中市の国有地が、ごみの撤去費分として約8億円値引きされて売却された問題で、売却額の妥当性を調べていた会計検査院が撤去費は2億~4億円程度で済み、値引き額は最大約6億円過剰だったと試算していることが25日、関係者への取材で分かった。

 一方、ごみの処分単価に関する文書や、国と学園とのやりとりの記録が破棄されており、正確な見積もりはできなかった。検査院はさらに詰めの調査を進め、売却に関わった財務省国土交通省への指摘内容を年内にも公表する見通し。値引き額の問題に加え、文書管理の改善も求めるとみられる。
 官僚の「付度(そんたく)」が取り沙汰された問題は、税金の無駄遣いをチェックする機関からも疑義が突き付けられる見通しとなり、政府が詳しい説明をもとめられるのは必至だ。
 森友学園は2015年5月、財務省近畿財務局と国有地の定期借地契約を締結。その後、国有地の購入を申し出たことから、財務局は地中に埋まっていたごみの撤去費の見積もりを、以前に現場周辺の地下の埋設物を調査していた国交省大阪航空局に依頼した。
 学園は「地下9. 9メートルまでごみがある」と申告。航空局は詳細に調べ直さないまま、以前の調査を基に、土壌全体の47%にごみが混入しているとみなし、処分費を約8億2000万円と算出。 16年6月にこの額を評価額の約9億5000万円から値引きし、約1億3000万円で売却した。
 検査院が残された資料を検証したところ、47%というデータは、航空局が以前に現場の敷地を掘削した数10ポイントのうち、ごみが出てきた6~7割のポイン卜の土壌に限っての混入率だった。残る3割以上では、ごみが見つかっていないのに混入率に反映させていなかったという。検査院が計算し直したところ、混入率は30%程度で処分費は約2億円にとどまった。別の計算方法を用いても4億円余りだったという。

 

<ブログコメント>選挙が終わって、出てきましたね。森友学園の国有地売却問題。先月、安倍首相が冒頭で衆議院を解散した臨時国会は、本来、森友・加計(かけ)学園問題を明らかにするために開かれた臨時国会だったはず。記事にある会計検査院の疑義は序の口です。先の国会閉会後には「(地下9. 9メートルまでの)ごみはなかった」という主旨の証言も出ているのですから。まずは国会で、森友・加計学園の疑惑を明らかにしてほしいと思います。

風船爆弾の記憶1 女学生たちの証言でたどる戦争

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風船爆弾の記憶1 女学生たちの証言でたどる戦争/20面

お国のため「勝つと信じていた」
 畳一畳よりひとまわり大きな張り板に、白い和紙を重ねていく。こんにゃく糊で気泡が入らないように貼り付ける。
 真冬の学校の校庭。靴下もなく、はいている運動靴はぼろぼろ。空っ風が寒かった。力を込めて紙をこする。指先の皮膚が丸く、白く透けたようになり、切れて血がにじんだ。「すべてはお国のため。これがアメリカに落ちればわたしたちは勝つ」。県立高崎高等女学校(高崎高女、現高崎女子高)の村田喜代子さん(87)=高崎市=は信じて疑わなかった。
 村田さんは、風船爆弾に使う気球用原紙を和紙を貼り合わせて作る担当だった。こんにゃく糊を作る係もいた。火薬を袋に詰める人もいた。毎朝届く火薬を天粋(てんびん)で量って袋に詰め込み、ミシンで縫い口をとじた。縫い目にはシンナー系の接着剤を塗る。十代の少女たちがそれを担った。
 日本で初めてダイナマイトの製造を始めた高崎市内の東京第二陸軍造兵廠岩鼻製造所(現在の「群馬の森」一帯)。気球用原紙に使う和紙などはそこから学校に持ち込まれたとみられる。
 村田さんは岩鼻製造所の招きで、成形された気球を見学したことがある。「紙風船を大きくしたような形。秘密兵器を見せてもらって感激した」
 1942(昭和17)年に入学。前年に真珠湾攻撃で日米が開戦していた。戦局が悪化する中で、44年3月には「決戦非常措置要綱」に基づいて「学徒動員実施要綱」が閣議決定され、高等女学校などで通年動員が決まった。
 高崎高女にも学校工場が開設された。「講堂、雨天体操場、東館一教室、旧校舎前に急造されたバラック4教室が利用され、3、4年生が主力となって風船爆弾の製造や薬包作業に従事した」(高崎市教育史下巻)
 高崎高女が岩鼻製造所の分工場で、気球用原紙の貼り合わせだけではなく、気球自爆用火薬製造も担っていた可能性があるとみているのは、明治大学平和教育登戸研究所資料館(川崎市)の特別嘱託学芸員塚本百合子さん。「冷たい風が吹く屋外で冷たい糊を使用した貼り合わせ作業、危険と隣り合わせである火薬製造作業は14~16歳の少女たちの手によってすべて行われた」と指摘する。

 夫もまた、戦争に翻弄(ほんろう)された。原爆が投下された後、軍医で救援のため広島市内に入った。川は死体で埋まっていた。やけどを手当てしようとしたが、どうにもならない。水を飲ませるのがやっとだった。「地獄だった。あんな悲惨な光景は見たことがない」。広島のことを話したがらない夫が生前それだけは教えてくれたという。夫も被爆し、被爆者健康手帳があった。
 2016年5月。オバマ米大統領が現職大統領として初めて、広島市平和記念公園を訪れた。その映像をテレビで食い入るようにして見た村田さんは、感情が込み上げるのを抑えきれなかった。「これでやっと許せる」。そんな気がしたという。

 風船爆弾とは何だったのか―。埼玉県小川町で気球用原紙に使われた和紙を見学したり、登戸研究所資料館を訪れたりして、十代の女学生としてかかわった戦争と今も向き合っている。村田さんは明大生田キャンパス内で21日に開かれた風船爆弾の作戦に関与した人たちの証言会に招かれ、初めて公の場で証言した。<略>


風船爆弾
 正式名称は「ふ号兵器」。太平洋戦争末期に行われた「秘密戦」の一つ。旧陸軍の要請で、登戸研究所(第9陸軍技術研究所)が米国本土を直接攻撃する兵器の研究開発の場になった。和紙をこんにゃく糊(のり)で貼り合わせ、水素ガスを注入した気球に爆弾を吊(つ)り、偏西風に乗せて太平洋上を約9000キロ飛行させた。千葉県一宮、茨城県大津など3カ所から約9300発が放球され、 1945年5月には米国オレゴン州でピクニック中の子どもら6人が風船爆弾に触れて死亡した。