今日の東京新聞

購読している東京新聞の記事を紹介します。読者の応援ブログです。

黛まどかの四国歩き遍路 同行二人 25

  f:id:a-tabikarasu:20170805170151j:plain 1面/2017.8.5

黛まどかの四国歩き遍路「同行二人」25 ペカディジョ 変化を受け入れ前へ/6面

 足摺岬高知県土佐清水市)の付け根にある小さなロッジを出立する。38番金剛福寺(こんごうふくじ)を打ち、今夜は足摺岬の宿に泊まり、明日またこのロッジに帰る。同じ道を戻るのを「打戻り」と言うが、私は行きは東回り、帰りは西回りの道を選んだ。ちょうど足摺岬を1周するかたちだ。小さなザックに1泊分の荷物を入れ、後はロッジに預けた。札所まで22キロ程の道程だ。
 ゴールデンウィークに入ってにわかにお遍路さんが増えた。数日間の遍路なので軽装で足取りが軽い。他方、通しで歩いている人は、みな痛む足を引き摺(ず)って歩いている。「修行の土佐」も終盤、日々痛みとの闘いだ。
 波乗りを横目に大岐(おおき)の浜を過ぎ、以布利(いぶり)港に着く。市場では水揚げされたばかりの魚が所狭しと並び、男たちが小魚の処理に追われていた。「大きいだろ? 2キロはあるよ」。アオリイカに見入っていた私に、市場で働くおじいさんが教えてくれた。今日は宗太鰹(そうだがつお)や鰆(さわら)、鯛(たい)、そして土佐の清水鯖(さば)がたくさん獲(と)れたそうだ。
 「お遍路さ~ん!」。長い棒を手に、道の反対側からおばあさんに呼び止められた。高知特産の小夏をくれると言う。「膝が痛うてね…」。時折膝をさすりながら、高枝の小夏を3つもとってくださった。
 「ぺカディジョ」とは、スペイン語で「小さな罪」のこと。「傷ついた足」を意味する「ペカス」に由来する。「ペカディジョ」を正す唯一の方法は、辛(つら)くても前へと進み歩くことだと、『星の巡礼』の作者パウロ・コエーリョは言う。歩き続け、直面する新しい状況に誠実に向き合うことで、代償として恵みを受け取ることができるのだ。
 巡礼者だけではない。こ れまで道ですれ違った数えきれないほどのお年寄りが、痛む足を引き摺りながら、田畑を耕し、庭の草を引き、どぶを浚(さら)い、遍路道の手入れをし、懸命に生きていた。炎天下で働くお年寄りを目にするたびに、ただ歩いてそこを通り過ぎる自分を恥じた。
 生きるとは変化を受け入れることだと、ある哲学者が著書で述べていた。転勤、災害、病、老化、死…人生は変化に満ちている。そしてそこには痛みや苦悩がつきまとう。しかし変化をしなやかに受け入れ、何かを諦め何かを捨てて前へと進み、歩き続けていれば、いつか恵みを受け取るに違いない。
 波音を聞きながら歩いていると、最愛の人を亡くし、四国を巡るお遍路さんたちの顔が次々と浮かんだ。

 風の立つところに神や草若葉

<ブログコメント>黛まどかの四国歩き遍路「同行二人(どうぎょうににん)」の連載25回目。四国土佐の南端、足摺岬を目前にして、日々、足の痛みとの闘いのようです。旅(たび)が行(ぎょう)になってくると、見知らぬ土地を歩いていても、意識は不思議と自分の内側へと向かってきます。四国遍路の同行二人は弘法大師と一緒に巡礼しているの意味ですが、大師は仮の姿で、一緒に歩くのはもう一人の自分かもしれません。