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広島7万人眠る供養塔

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名前なき死者の声 聞いて 広島7万人眠る供養塔/29面

 「原爆の日」の六日、広島市内ではメインの式典がある平和記念公園の原爆慰霊碑前だけでなく、さまざまな場所で人々が鎮魂の祈りをささげる。身元不明などで引き取り手がいない7万人の遺骨を納めた「原爆供養塔」前もそのひとつ。家族の元に帰れないまま今も眠り続ける犠牲者たち。白蓮寺(広島県呉市)の住職吉川信晴さん(80)は親子二代にわたり、その声にずっと耳を傾けてきた。(坪井千隼)

親子2代で守る住職「人は支え合わねば」
 供養塔は慰霊碑から北西に150メートルほど離れたところにある。慰霊碑に奉納されているのは犠牲者の名簿だが、供養塔はおわん状に盛られた土の下に膨大な数の遺骨を抱く。
 「みんな原爆なんかで死にたくなかったはず。平和を訴えるその声を聞いてほしい」。吉川さんが毎月6日の月命日に塔の前でお経を上げるようになって、今年でちょうど60年になった。
 原爆で亡くなった遺体の多くは衣服も体も黒く焼け焦げ、DNA鑑定もない当時、身元を調べるのは困難だった。爆心地に近く、臨時の火葬場として無数の遺体が運び込まれたのが今、供養塔のある場所だ。
 吉川さんの父で当時の住職だった元晴さんは原爆投下直後、広島市内に入り、そんな犠牲者たちの供養を始めた。他の仏教関係者らと共に市内各地を巡り、引き取り手のない遺骨の収集にも取り組んだ。
 戦後、月命日の供養を続けながら市に遺骨を納める塔の建立を働き掛け、建設費集めに奔走。実現したのは1946(昭和21)年のこと。55年には建て直され、今の形になった。それを見届けた翌年、元晴さんは56歳の若さで亡くなり、間もなく吉川さんが思いを引き継いだ。
 吉川さんによると、20年ほど前までは、遺骨を見つけられなかった数十人の遺族らが「ここに眠っているのでは…」と毎月、手を合わせに来ていた。だが近年は遺族も亡くなったり、高齢になったりし、一緒に手を合わせる人は毎回数人ほど。吉川さんだけという日も多い。「原爆は一家を全滅させ、身元が分からず供養する人もいない犠牲者をたくさん生んだ。思いを寄せる人間が、一人ぐらいおってもいい」
 大国の大統領が自国第一主義を声高に叫ぶ。ミサイル発射を繰り返しては核保有を誇る隣国もある。 「今は人も国も『自分ファースト』になりすぎている。人は支え合わなければ、生きていけないのに…」。吉川さんはきょう、そんな思いを胸に供養塔へ向かう。

 

<ブログコメント>8月6日の東京新聞1面トップは「子ども食堂」の記事でした。東京新聞らしい紙面構成です。広島原爆忌関連の記事はその横と29面に載っていました。ブログでは、7万人が眠る供養塔(無縁仏)を親子2代で守る住職の記事(29面)を紹介します。