今日の東京新聞

購読している東京新聞の記事を紹介します。読者の応援ブログです。

46歳・伊達公子 最後の大会前に引退会見

 f:id:a-tabikarasu:20170908072334j:plain 10面/2017.9.8

46歳・伊達 最後の大会前に引退会見 「勇気あれば道開ける」/10面

 1990年代に世界ランキングで日本女子最高の4位となり、37歳で現役復帰後も四大大会で白星を挙げた46歳の伊達公子エステティックTBC)が7日、東京・有明コロシアムで引退会見に臨んだ。8月28日にブログで2度目の引退表明後、初めて公の場で約1時間、思いの丈を語った日本テニス界のパイオニア。最後の大会となるジャパン女子オープン(東京有明テニスの森公園)で12日にシングルスー回戦を迎える。

再挑戦けがと闘い
 思い出が詰まった有明センターコートでの引退会見。「こんなに幸せなアスリートはそういない。2度も世界のトップレベルで戦うことができた」。伊達は感傷に浸ることなく、終始笑顔だった。
 振り返れば、挑戦の連続だった。1度目の引退となる1996年までは世界ランキングにこだわり、94年に日本人で初めてトップ10入り。小柄な日本人でも世界で通用することを証明した。
 37歳の2008年に復帰後は「すべてがチャレンジだった」という。39歳の全仏オープンで14年ぶりに四大大会で自星をマーク。世界50位以内に戻り「年齢に関係なく思い続けること、やり続けること。勇気を持てば道は切り開けることを示せたかな」。会場に入ると、誰よりも早くトレーニングルームを訪れ、体の補強とケアに時間を費やす。地道な積み重ねで40代になっても世界で戦い続けてきた。
 勝利だけを追い求めた10~20代と比べ、考え方は変わってくる。「日々のチャレンジがすごく楽しい。テニスが好き。結果が達成感ではなかった」。 一方で自身に対して最後まで妥協は許さなかった。「常に101パーセントを求めるのがアスリート。それは常にやってきた」
 昨年2月と4月に左膝を手術。1年4カ月ぶりに復帰したが、肩の痛みで8月の全米オープン予選を断念した。「夜は痛いし、検査の30分も痛くてじっとしていられない。練習量をこなせなくなったのがつらい。心と体のバランスが崩れてきた」。不屈の伊達も受け入れるしかなかった。
 最後の大会の初戦は12日。「良い状態に合わせて、最大限のプレーをしたい。そのための準備をしっかりする」。46歳。最後のチャレンジヘと向かう。(森合正範)

「若い選手に何か影響を」一問一答
 伊達は時折笑顔を交え、2度の現役生活を振り返った。
 ー引退決断の時期。
 「気持ちが固まったのは8月上旬。7月の米国遠征で(左)膝に加えて、(右)肩にも問題を抱えた。ドクターと話をして、決断しないといけない時期なのかなという気持ちが膨らんだ」
 ー思い出の試合は。
 「(1996年に国別対抗戦)フェド杯でナンバーワンのシュテフィ・グラフ(ドイツ)と戦って初めて勝った試合とウィンブルドン選手権準決勝でグラフと日没サスペンデッドを戦った試合。(復帰後は2011年の)ウィンブルドンのビーナス・ウィリアムズ(米国)戦。負けてしまったが、今のパワーテニスに対抗することができた」
 ー2度目の競技人生。
 「時代で変わっていくテニスにどう対応していくのかを追求することに、自分の年齢でできることへのチャレンジをしてきた。若い選手に何かしら影響を与えていれば」
 ー復帰後を含めて第一線で戦えた原動力は。
 「やっばり私はテニスが好き。そこに尽きるのかな。(技術面では球の跳ね上がりをたたく)ライジングショットが打てたこと。パワーがなくても展開の速いテニスができたことが大きかった」
 ー2度目の復帰は。
 「さすがにそれはない」

 

<ブログコメント>「常に101パーセントを求めるのがアスリート。それは常にやってきた」。100%でも、120%でもなく、101%と言いきるところにリアリティーがあります。その1%を追及するためにどれだけ骨身を削ってきたか。ウィンブルドン選手権準決勝で、ライジングショットを武器に小柄な伊達が絶対王者のグラフを追いつめた試合は一つの事件でした。