今日の東京新聞

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コラム「作家の見た五輪」 / 佐藤文香の俳句月評

コンパス「作家の見た五輪」/25面

 1964年東京五輪では、新聞社などの依頼で名だたる作家たちが観戦記を書いた。その原稿をまとめた『東京オリンピック』(講談社文芸文庫)は面白い。
 開会式終盤、8000羽の鳩が放たれた。そのうち飛び立とうとしない鳩が一羽。三島由紀夫は「こういう鳩もあっていい」と書いた。みんなが五輪に熱狂する中、反対した人々を指している。
 この記述が印象深いのは、ほとんどの作家は批判に触れずただ良かった、としか書いていないからだ。つい20年前に同じ場所で学徒出陣の壮行式が行われたのに、それに触れたのも杉本苑子さんくらい(名文です)。
 巻末の解説で高橋源一郎さんは「もともと反対していたのだけれど、『やる』と決まったからには、文句を言わない」と作家の心中を解説し、太平洋戦争と「似ている」と書いた。
 似ているのは、2度目の五輪を控えた現在も同じだろう。復興の妨げになるのではとか、もろもろの問題に目をつぶり、賛成に転じた人たちを神戸大の小笠原博毅教授は「どうせやるなら派」と呼ぶ。「だって仕方ないよね」とあっさり身を引く過度のあきらめの早さと物分かりの良さ。五輪に限らない。今年は社会のいろんな所でこういう空気を感じてしまった。(森本智之)

 

佐藤文香の俳句月評 「軽さ」の味/25面

 文芸のジャンルにおいて「軽い」ということはともすると良くないことのように思われがちだが、俳句では面白さのひとつに、堂々と「軽さ」がある。その代表作家として後藤比奈夫(ひなお)が、新人に上田信治(しんじ)がいる。
 後藤は昨年、人生最後の句集として『白寿』(ふらんす堂)を刊行したが、第32回詩歌文学館賞を受賞し、次への期待が高まったことから、「アンコールなら許されるだろう」と今年8月『あんこ―る』(同)を上梓(じょうし)した。
〈百歳をクリアーしたる朝寝かな   後藤比奈夫〉
 普段、我々がクリアすることといえば仕事のノルマなどだが、百歳まで生きるという一大事について言われると、途端にめでたい句になる。「クリアー」という外来語を含みながら文語で書かれているところもチャーミングだ。下五を「名詞+かな」でまとめることで俳句的な立ち姿となっている。
〈数の子が哀しめりわが総入れ歯あらたまの年ハイにしてシヤイにして   同 〉
 噛(か)まれる側の数の子が総入れ歯を哀(かな)しむというちょっとした自虐、「ハイにしてシヤイにして」のラップのようなリズム感。読む者を嬉(うれ)しい気持ちにさせる、生き生きとした句集である。
 上田は1961年生まれ。2007年からウェブマガジン「週刊俳句」の編集に携わり、評論も旺盛に発表している。このたび満を持して第一句集『リボン』(邑(ゆう)書林)を刊行した。『あんこ―る』にしても「リボン』にしても、なんと軽やかな名の句集であろう。
〈夢のやうなバナナの当り年と聞く天然の蝦姑はたのしく海の底   上田信治
 おもてうらのない、大爆笑のような俳句で、漫画にできそうだ。それでいて季語である「バナナ」や「蝦姑(しゃこ)」の特質をよく捉えている。〈月おぼろ二つのごみを一つにし〉。ごみを出す前夜、部屋ごとの小さなごみ袋をまとめて一つにする。それだけのことだが、「月おぼろ」という季語に照らされて、切ないことのようにも感じられる。
 〈空間はスイートピーは春の花〉〈野兎のとても煮られて血のソース〉など、簡単な言葉で書かれていながら、俳句のなかで日本語がどう働くかを試す句も多く、咀疇(そしゃく)には少し時間がかかるが、その分味わい深い一冊だ。(さとう・あやか=俳人

 

<ブログコメント>今日は日曜日らしく文化欄から記事を2つ。日曜日のコラム「コンパス」は、1964年の「東京オリンピック」観戦記の紹介から。あのときのオリンピック、わずか20年前はまだ戦争のまっただ中だったんですね。そして2020年の東京五輪。「どうせやるなら派」という言葉。このブログ「今日の東京新聞」は、たとえば「もりかけ問題(森友学園疑惑と加計学園疑惑)」に目をつぶって、「だって仕方ないよね(相手が安倍将軍だもん)」というわけにはいきません。あきらめが悪くて物わかりが悪いといわれても、「そうですか」とあっさり身を引くわけにはいかないのです。
 もう1つ紹介するのは、日曜日連載の俳句月評。俳句にかわって詩の月評が掲載される週もあります。ふだん俳句にあまり触れないので、この月評、けっこう新鮮です。今回の俳句、言葉遣いが独特でおもしろい。「夢のようなバナナの当たり年」と「蝦蛄はたのしく海の底」がどうしてつながるのか。作者の頭のなかをのぞいてみたい気がします。シュールなのか、ファンタジーなのか。ただ午後のテーブルにバナナと蝦蛄が並んでいたというだけの話なのか。いずれにしてもメルヘン感いっぱいの1句です。「月おぼろ二つのごみを一つにし」は情景がありありと浮かぶ句。ただ最後に紹介されている2句は、意図は分かるとしても日本語がまだ壊れたままで終わっているような…。助詞の使い方、語感は、山頭火(さんとうか)や放哉(ほうさい)に近いと思いました。