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ヘリ窓落下 「やらせでは」と学校に中傷

 f:id:a-tabikarasu:20171224082458j:plain 31面/2017.12.22

ヘリ窓落下 「やらせでは」と学校に中傷/31面

米軍飛行再開 地元の不安 晴れぬまま
 米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)に所属するCH53Eヘリコプターの窓が、小学校の校庭に落下した事故。米軍は飛行前点検の徹底や、飛行ルートの見直しなどの安全措置をとったとして19日、発生から1週間もたたずに同型機の飛行を再開させ、日本政府も容認した。市街地上空を米軍機が飛び回り、不安な日々が続く地元住民ら。基地のすぐ近くに学校や保育園があることを批判する中傷も相次ぎ、さらに苦しめられている。

移住強いられた歴史「知って」
 米軍ヘリの窓が落下した普天間第二小を含む学校は、普天間飛行場を取り囲むように少なくとも18カ所に点在する。
 「学校をどかすのが筋だろう」「やらせじゃないか」。宜野湾市教育委員会によると、13日の事故の翌日から普天間第二小などに計20件の誹謗(ひぼう)中傷の電話があった。市教委の加納貢指導課長は、米軍が古里に巨大な飛行場を造り、住民は仕方なく周りに住むしかなかったという「歴史的経緯を分かってもらいたい」と話すが、理解が進まないという。
 米軍は1945年の沖縄戦で旧宜野湾村中心部に軍用滑走路を建設。住民計約8800人の多くが移住を強いられた。当時の住民に聞き取りを行った字宜野湾郷友会理事の宮城政一さん(74)は「(同飛行場は)親や先祖が住んでいた古里だ。『危険なら周囲の学校や家を動かせば良い』という主張に怒りを通り越して悲しみを感じる」と話す。
 普天間第二小は69年に開校し、初代教頭の宮城武雄さん(94)は「近くにほかに土地はなかった。基地があるから宜野湾市はどこでも危ない。基地がなかった頃は、松並木があり素晴らしかった」と振り返る。
 80年代には第二小を別の米軍施設の返還地に移転する案も浮上した。ただ、第二小の敷地を米軍に提供
するのが条件だったため断念したという。

翁長知事が不快感
 沖縄県の翁長雄志(おながたけし)知事は21日の記者会見で、米軍普天間飛行場宜野湾市)に所属する大型輸送ヘリコプターの操縦席窓が、授業中の運動場に落下した市立普天間第二小などに誹謗中傷の電話が相次いでいることに関し「どんなに説明しても繰り返される飽くなきヘイトスピーチや差別が一向に改善されない」と述べ、不快感を示した。
 沖縄戦で米軍が住民の土地を接収して建設した飛行場周辺に、学校や市街地が密集している現状について「古里の周辺に住むのは自然な成り行きだ」と強調した。任期満了まで約1年となり、次期知事選への対応については「とても考えが及ばない」として、明言を避けた。

米軍普天間飛行場周辺での事故・トラブル
 7日に緑ケ丘保育園屋根に、米軍ヘリコプターの部品が落下しているのを発見。13日には、市立普天間第二小学校運動場に、同飛行場所属のCH53E大型輸送ヘリコプターの窓が枠ごと落下した。当時、運動場では児童54人が体育の授業中だつた。19日午後には同型機の飛行が再開された。

 

<ブログコメント>一昨日(22日)の記事を2日遅れでアップします。利用している「はてな」ブログに障害が発生して、記事のアップができなくなったからです。「はてな」は早急に回復したとコメントしていますが、私の使っているパソコンのシステム(ウインドウズ7とファイヤーフォックス)では、今も「はてな」を正しく読み込むことができません(照会中)。今日になって、ファイヤーフォックスエクスプローラーに切り替えて接続可能となったので、エクスプローラー経由で一昨日の記事をアップします。