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日露戦争 正しい戦史を伝えなかった軍部

 f:id:a-tabikarasu:20180220090541j:plain 7面/2018.2.20

明治150年「薩長史観」を超えて 半藤一利さん×保阪正康さん/1面から続く

日露戦争 正しい戦史を伝えなかった軍部/7面
 ―「明るい明治、暗い昭和」という歴史観を持つ人が多い気がします。日露戦争を描いた司馬遼太郎〈注1〉さんの「坂の上の雲」〈注2〉の影響もあるようです。生前の司馬さんと交流があった半藤さんはどう捉えていますか?
 半藤 日露戦争後、陸軍も海軍も正しい戦史をつくりました。しかし、公表したのは、日本人がいかに一生懸命戦ったか、世界の強国である帝政ロシアをいかに倒したか、という「物語」「神話」としての戦史でした。海軍大学校陸軍大学校の生徒にすら、本当のことを教えていなかったんです。
 海軍の正しい戦史は全百冊。3部つくられ、2部は海軍に残し、 1部が皇室に献上されました。海軍はその2部を太平洋戦争の敗戦時に焼却しちゃったんですね。司馬さんが「坂の上の雲」を書いた当時は、物語の海戦史しかなく、司馬さんはそれを資料として使うしかなかった。

小説と全然違う
 ところが、昭和天皇が亡くなる直前、皇室に献上されていた正しい戦史は国民に見てもらった方がいいと、宮内庁から防衛庁(現防衛省)に下賜されたんです。私はすぐ飛んでいって見せてもらいました。全然違うことが書いてある。日本海海戦東郷平八郎がロシアのバルチック艦隊を迎え撃つときに右手を挙げたとか、微動だにしなかったとか、秋山真之の作戦通りにバルチック艦隊が来たというのは大うそでした。あやうく大失敗するところだった。
 陸軍も同じです。二百三高地の作戦がいかにひどかったかを隠し、乃木希典と参課長を持ち上げるために白兵戦と突撃戦法でついに落とした、という美化した記録を残しました。日露戦争は国民を徴兵し、重税を課し、これ以上戦えないという厳しい状況下で、米国のルーズベルト大統領の仲介で、なんとか講和に結び付けたのが実情でした。
 それなのに「大勝利」「大勝利」と大宣伝してしまった。日露戦争後、軍人や官僚は論功行賞で勲章や爵位をもらいました。陸軍62人、海軍38人、官僚30数人です。こんな論功行賞をやっておきながら国民には真実を伝えず、リアリズムに欠ける国家にしてしまったんですね。

爵位を得るため
 保阪 昭和50年代に日米開戦時の首相だった東条英機〈注3〉のことを調ベました。昭和天皇の側近だった木戸幸一〈注4〉がまだ生きていて、取材を申し込みました。なぜ、東条や陸海軍の軍事指導者はあんなに戦争を一生懸命やったのか、と書面で質問しました。その答えの中に「彼らは華族になりたかった」とありました。満州事変〈注5〉の際の関東軍司令官の本庄繁は男爵になっています。東条たちは、あの戦争に勝つことで爵位〈注6〉が欲しかった。それが木戸の見方でした。
 当たっているなあと思いますね。何万、何十万人が死のうが、天皇の名でやるので自分は逃げられる。明治のうその戦史から始まったいいかげんな軍事システムは、昭和の時代に拡大解釈され肥大化したのです。
<注・略>

はんどう・かずとし 1930年、東京都出身。東京大卒。「文芸春秋」編集長などをへて作家に。「日本のいちばん長い日」「幕末史」「ノモンハンの夏」など近現代史関連の著書多数。

ほさか・まさやす 1939生、札幌市生まれ。同志社大卒。出版社勤務をへて、昭和史を中心とする著述活動に入る。「昭和陸軍の研究」「昭和史七つの謎」など。