今日の東京新聞

購読している東京新聞の記事を紹介します。読者の応援ブログです。

オウム6人死刑執行 サリン・弁護士一家 13人全員執行

 f:id:a-tabikarasu:20180727073506j:plain 1面/2018.7.27

オウム6人死刑執行 サリン・弁護士一家 13人全員執行/1面

 法務省は26日、オウム真理教による一連の事件で殺人罪などに問われた教団元幹部6人の死刑を、東京と名古屋、仙台の各拘置所で執行した。6日に元代表麻原彰晃(しょうこう)元死刑囚=執行時(63)、本名・松本智津夫(ちづお)=ら元幹部7人が執行されており、死刑が確定した13人全員の執行が終わった。
 <略>

www.tokyo-np.co.jp

「恒久的対策もう取れない」 松本サリン被害 河野さん/1面

 オウム真理教による1994年の松本サリン事件の被害者で、一時、警察やマスコミから犯人視された河野義行さん(68)が26日、愛知県豊橋市で本紙の取材に応じた。麻原彰晃元死刑囚ら13人の死刑執行で事件の真相を深く知る当事者がいなくなり、「事件の再発を防ぐ恒久的な対策を取れなくなった」と指摘した。
 一連の事件の背景解明を求めていた河野さんは「真相は本人たちしか分からない。『なぜ』が分からなければ歯止めのかけようがない」と死刑執行を疑問視。死刑囚以外のオウム関係者に「捜査関係者が粘り強く接し、本音を語ってもらうことが必要」とも訴えた。
 河野さんは新実智光元死刑囚=執行時(54)=ら4人の死刑囚と面会している。死刑制度に反対の立場だが、「死ぬことを許され、自由になれて良かったね」と声を掛けたい気持ちになったという。松本サリン事件で意識不明となった妻澄子さん=享年(60)=が10年前に亡くなったときも同じことを思ったといい、「意識不明も拘置所も『不自由』の最たるもの」と述べた。
 事件の被害者の心情にも触れ、「加害者を恨むことで心のバランスを取っていた被害者は(死刑執行で)生きる支えがなくなるのでは」と懸念した。河野さんは病気の兄を看病するため2016年、豊橋市に転居した。(高橋雪花)

 

<ブログコメント>東京新聞の取材に応じた河野さん。鶴見俊輔著『思い出袋』(岩波新書を読んだとき、河野さんについて触れる数行があり、「あー、そうだ。私もこの人に対して同じ思いを抱いている」と強く共感した覚えがあります。以下に紹介します。

誇りという言葉 (p.99-100)
 <略>
 17歳から19歳まで、私は米国マサチューセッツ州ケムブリッジ市のヤングさん一家の下宿人だった。女主人は離婚していて、3人の子ども、実母、それに下宿人の私をいれると6人世帯で、3室のアパートに暮らした。
 女主人のマリアンは、「あなたを誇りに思う」( I am proud of you. ) と私に言うことがよくあった。私は子どものときから、そういう言いまわしに会ったことがない。おどろいた。生まれた家から遠く離れて、日常生活を共にしている年長者から、誇りに思うと言われて、その言葉を裏切りたくなかった。
 20歳以後、日本に帰ってからの長い年月、「あなたを誇りに思う」などと私に向かって言う人はいなかったし、私から他人に向かって言ったこともない。記憶にない。でも、そう言いたいと思うことはあった。
 小学校1年生のときからつきあいの絶えることのなかった永井道雄が、三木内閣の閣僚になり、やがて、三木おろしにあって三木武夫が総理の座から降りると、永井道雄はただちに辞職してもとの朝日新聞に戻った。そのとき、君を誇りとする、という言葉が私の心に浮かんだ。しかし、それを彼に伝えることはなかった。私の日本語には、その言いまわしはない。
 もう一度は、松本サリン事件で最初に容疑者とされた河野義行が、自分の無実を警察に対して主張し、自分の妻がサリンのために昏睡状態となり、その状態の続く中で、オウム真理教団に対して破防法が適用されることに反対したとき。こういう人が日本人の中にいることを、おなじ日本人として誇りに思った。河野義行には会ったこともなく、この言葉を伝えることもなく過ぎた(その後会ったことがある――追記)。
 <略>

 鶴見俊輔『思い出袋』(岩波新書)から