今日の東京新聞

購読している東京新聞の記事を紹介します。読者の応援ブログです。

投稿ミラー/生還少年の出家「見事」 権田めぐみ

 f:id:a-tabikarasu:20180805183535j:plain 1面/2018.8.1

日銀  長期金利上昇  容認 緩和の副作用軽減/1面

www.tokyo-np.co.jp

投稿ミラー/生還少年の出家「見事」  主婦  権田めぐみ  46(千葉県佐倉市)/5面

 洞窟から救助されたタイの少年たちが出家するとの報道で、いろいろなことが腑(ふ)に落ちました。
 退院後の会見では、冒頭元気にサッカーをする様子が披露されました。少年たちの受け答えも「帰ったらお母さんに怒られると思いました」など生還の喜びを屈託なく伝える内容で、日本とのお国柄の違いをまざまざと感じました。日本だったら、「救助の段階で1人亡くなっているのに不謹慎」と非難されそうですものね。
 もしも、この出来事が日本で起きたのなら、退院後の会見は「生きて帰ってスミマセン」的な沈痛な面持ちで整列し、「大変ご迷惑をおかけしました」という内容になっていたことでしょう。でも、それでは救助に駆け付けた人たちも、さらには命を落としたダイバーも浮かばれません。元気な笑顔で「ありがとう!」と伝えることこそ大切ですよね。と、思う半面、なんだかスッキリしない気持ちも抱えていたのでした。
 そこへ、少年たちがダイバーの追悼と、救出に携わった人たちヘの感謝のため揃(そろ)って出家したとの報道に、「さすが仏教国」と得心がいきました。頂いた善意に全力で感謝し、そのことが「こんなにも嬉(うれ)しいこと」と、しっかり喜びを表現する。その上で、払われた犠牲や周囲の心痛、世間を騒がせたことへの責任はきっちり取る。それが、いかにも清々(すがすが)しく見事だと感じました。
 もちろん、日本での出家とは違うのでしょう。今後、世捨て人として生きるのではなく、9日間の修行を行うとのこと。でも、このバランス感覚こそ見習いたい。そう思うのです。

 

<ブログコメント>仏教国のタイやミャンマーには一時比丘(びく)の制度があります。僧侶ではない一般人が、一定期間、仏門に入って修行する、戒律を守って僧院の暮らしをする習わしです。成人してからでも3カ月とか半年、生涯に一度、一時比丘(僧侶)になる人は少なくないようです。自分を見つめ直す良い機会になるのでしょう。ところで救出された13人のうち1人はクリスチャン(キリスト教徒)でした。クリスチャンは仏教徒ではないので一時比丘にはなりません。今回一時比丘になったのはその1人をのぞく12人です。全体責任でもなく、全員一致の強制でもなく。でもきっと、子どもたちはお母さんにお寺へ行ってきなさい、といわれ、頭を剃(そ)ったのだと思いますが…。他者に強制することなく、他者に強制されることなく。そのあたり、当たり前というか、フツーに行われているところがいいですね。