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「政治家発言 記録残すな」 経産省 公文書管理で指示

 f:id:a-tabikarasu:20180831110023j:plain 1面/2018.8.31

「政治家発言  記録残すな」 経産省  公文書管理で指示/1面

 政治家や首相官邸、各省庁とのやりとりについて、経済産業省の複数の職員が「3月に上司から『今後は発言を一切記録に残すな』と指示された」と本紙に証言した。本紙が入手した経産省の内部文書にも、省内外の打ち合わせの記録について「議事録のように、個別の発言まで記録する必要はない」と明記されていた。職員によると、4月以降、省内では公文書となる打ち合わせ記録には詳しい発言内容を残さなくなったという。 (望月衣塑子、藤川大樹、中沢誠)

 森友学園加計学園などの問題を受け、改正された政府の公文書管理のガイドラインでは、行政の意思決定の過程を検証できるよう文書の作成を求めている。経産省の運用では十分な検証ができない恐れがある。
 文書を作成した情報システム厚生課の担当者は「(公文書管理を所管する)内閣府に確認して決めた。一言一句残しておく必要がないという趣旨で、『一切残すな』という意味ではない」と主張。内閣府公文書管理課の担当者は「経産省には、後付けの検証ができれば全ての詳細な記録はなくてもいいと回答したが、『記録を一切残すな』との指示が併せて出ていたらガイドラインの趣旨からも外れており、問題だ」と指摘する。
 <略>
 本紙が入手した文書には、「政策立案や事務・事業の方針等に影響を及ぼす打合せ等の記録」について、『記録』は『いつ、誰と、何の打合せ』かが分かればよく、議事録のように、個別の発言まで記録する必要はない」「議事録のように、発言の詳述は必要はない」と記載していた。
 加計学園の問題では、関係機関の協議が記録に残っていなかったため真相究明が阻まれている。
 <略>

 

<ブログコメント>森友・加計疑惑をうやむやにして逃げ切ったつもりの安倍内閣。次は「記録を残すな」ですか。もう、まるでジョージ・オーウェルの『1984年』の世界ですね。今日の紙面にはもう一つ、考えさせられる記事がありました。中島岳志の論壇時評で、杉田水脈LGBT問題を扱っています。


論壇時評 「弱くある自由」認めよ 中島岳志/6面

杉田水脈LGBT問題
 杉田水脈(みお)衆院議員が『新潮45』8月号に寄稿した論考(「『LGBT』支援の度が過ぎる」)に、厳しい批判が殺到している。杉田は、LGBT性的少数者)の人たちが「子供を作らない、つまり『生産性』がない」と述べた上で、「そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」と疑問を呈している。また、性的マイノリティーの生き方を肯定的に報道することが「普通に恋愛して結婚できる人まで、『これ(同性愛)でいいんだ』と、不幸な人を増やすことにつながりかねません」と否定的な見解を述べている。
 言語道断の暴言である。子供をつくることを「生産性」という言葉で語ること自体、大変な問題であり、ましてや同性愛者を「不幸な人」と見なすに至っては差別以外の何ものでもない。
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 問題は、なぜ杉田がこのような思想を持つに至ったのかというプロセスと背景を解明することだろう。
 杉田が、著書や対談で繰り返すのが、「左翼嫌い」という心性である。大学時代に寮費の値上げをめぐって参加した反対運動の大会で、「しんぶん赤旗」学生版の購入を勧められたことに疑問を感じ、兵庫県の西宮市役所勤務時代に、共産党市議から同様の勧誘を受けたことから、その思いが決定的になったという。「地方公務員時代は、左翼と呼ばれる人達と ″やり合う″ 機会が多々あり、私の ″左翼嫌い″ は確固たるものになったのでした」(『なでしこ復活』青林堂、2014年)
 この心性は、左翼を既得権益と見なし、行政改革によって一新したいという思いにつながる。正規職の公務員は守られすぎていると考え、業務の民間へのアウトソーシングを進めたものの、厳しい批判にさらされ挫折したという。
 そんな中、彼女は同じく行革を志向する同僚と勉強会を立ち上げ、竹中平蔵らがサポートする「スーパー公務員塾」とつながった。以降、政党関係者と接点を持ち、12年の衆議院選挙に日本維新の会から立候補し当選。国会議員となった。
 杉田が一貫して主張するのは、自己責任を基調とするリスクの個人化である。人生のさまざまなリスクは、自分が全面的にとらなければならない。児童福祉が存在するのは、行政の世話にならない大人に育ってもらうためと主張する。一方、福島で東京電力からの補償金を受け取り、仮設住宅で暮らす人たちを「被害者利権」と非難する(河添恵子との共著『「歴史戦」はオンナの闘い』PHP研究所、16年)。
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 この主張の先に出てくるのがLGBTへの否定的発言であり、当事者の主張を「我がまま」な「特権」の要求と断罪する姿勢につながっている(『なぜ私は左翼と戦うのか』青林堂、17年)。
 杉田の論理は、父権的社会規範に順応する強者の論理である。しかし、時折、弱者ヘと反転し、自由を阻害される苦悩にさらされる。彼女は妊娠時のつわりがひどく、「生まれて初めて倒れ」てしまい、5キロも痩せたという。このとき体の自由がきかなくなる苦しみを味わい、「私は私の人生」「子供は子供の人生」という考えを持ったという。
 杉田は弱い立場に立たされたときの苦しみを知っている。差別を受けたときのつらい思いも味わってきている。ただ、その苦しみを父権社会への過剰適応によって乗り切ったことで、権利を要求する者を「特権」として断罪する立場にたっている。そうすることで自己の歩みを正当化し、承認を得ようとしているのだろう。
 <略>
(なかじま・たけし/東京工業大教授)