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逆境に負けぬ父が手本 二胡奏者 ウェイウェイ・ウーさん

 f:id:a-tabikarasu:20181021105702j:plain 1面/2018.10.21

<家族のこと話そう> 逆境に負けぬ父が手本 二胡奏者  ウェイウェイ・ウーさん/22面

 父(79)は作曲家で、私の音楽の師でもあります。中国の江蘇省無錫(むしゃく)市に生まれ、祖父の商売で10代で上海へ。音楽が好きで、さまざまな楽器を習得し、当時の歌謡曲やミュージカルなどを手掛ける作曲家として活躍しました。
 父の20代後半は、文化大革命(1966~76年)の時代。文化人の父は工場で働かされ、大変な思いをしたようです。工場の曲を作れと言われ、みんなが楽しく働けるようワルツを作曲したら、資本主義的と批判されたり、いじめられたり。母(76)はそんな父と工場で出会い、父を守ってあげたいと思ったそうです。私のオリジナル曲「ラバーズ・イン・レッド」(赤い時代の恋人)は、両親を思って作りました。
 父は家でもいろんな楽器を演奏し、5歳だった私はバイオリンの音色のとりこになりました。当時は西洋の楽器として禁じられ、売っている店はありませんでした。どうしても弾きたがった私に、父と父の友人が手作りしてくれました。それが私にとって、人生最初の楽器。すごくうれしかったです。
 父は夜中に工場で働き、昼間は私の練習に付き添いました。家では厚みのある生地のカーテンを二重にしました。見つかって、刑務所に入る人もいたのです。うちは近所に恵まれ、みんな私がバイオリンを弾いているのを知っていましたが、密告する人はいませんでした。それでも文革が終わってしばらくは、いつまたダメと言われるか分からない不安があり、練習で最初に弾く曲も、必ず毛沢東をたたえる歌でした。
 このように逆境でも夢をあきらめないことは、父が教えてくれました。普段は無口ですが、今でも口癖は「人がやっていることをまねする必要はない。人がやっていないことを考えなさい」。私も来日して苦労しました。ダメと言われても、もしかしたら何か方法があるかも、と考えられたのは父のおかげです。 <略>