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連載メメント・モリ 「穏やかな最期を施設で」

 f:id:a-tabikarasu:20181022161136j:plain 1面/2018.10.22

穏やかな最期を施設で メメント・モリ  第7部「ひとりで逝く」/22面

 染川はつさん(95)が暮らす「ついのすみか」は、1階の突き当たりにある。手作りのパッチワークに彩られた24平方メートルの部屋には、小さな台所とベッド、座卓。毎朝5時半に起きると香をたき、「今日もお願いします」と手を合わせる。「1日がうまくいけば上等。時が来れば逝くんだから」
 愛知県尾西市の高齢者施設「せんねん村平口」。頼れる家族や親類もなく、友人にも先立たれた染川さんは「ここで最期を迎えよう」と決めている。
 同県豊橋市に生まれ、終戦直前の1945年8月、22歳で結婚した。だが、豊川海軍工廠(こうしょう)に勤めていた夫は挙式の翌日、空襲で亡くなった。、再婚しで1女をもうけたが、しゅうとめとの関係に悩み、30歳で娘を置いて家を出た。以来、調理師として働きながら独りで生きてきた。
 入所を決めたのは、日本が超高齢社会に差し掛かり、介護保険制度が始まった2000年の夏。一人暮らしだった友人の計報を聞いたのがきっかけだった。
 新聞がたまっていると通報を受けた役所の職員が室内に入った時、友人は事切れて1週間ほど過ぎていた。「扇風機の前で、ぞうきんを握りしめて倒れていたんだって」。遺体の腐敗が進み、染川さんは通夜での対面もかなわなかった。
 当時は77歳。6人きょうだいのうち、4人はすでに他界していた。末弟は音信不通で、唯一、連絡を取っていた長姉は関東の施設暮らしで頼れなかった。「自分も、孤独死してしまう」。不安に駆られていた時、翌年に開設を控えたせんねん村のちらしを役所で見た。
 茶飲み友達と話題にすると、「まだ早い」と言われた。「じゃあ、誰か私の面倒をみてくれるの」と聞き返すと、皆黙り込んだ。「施設のお世話になろう」。染川さんは、築5年ほどの一戸建てを引き払った。
 人生の最後をどこで迎えるか。病院での死亡が7割を超える現代。30~40年代には、40万人のベッドが足りなくなるとの予測もある。国は介護施設を含む住宅での看取(みと)りを増やす方針を打ち出している。
 そんな時代を見越すように、せんねん村は開設した01年から施設での看取りを実践してきた。入所後に亡くなった高齢者の8割近い約250人が、自室で最期を迎えた。
 <略>