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私の東京物語 「まさかの右翼療法」 雨宮処凛5

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私の東京物語 「まさかの右翼療法」 雨宮処凛5/28面

 「生きづらいなら革命家になるしかない」。作家見沢知廉(ちれん)はそう言うと、「貧しく、無名で何者でもないお前にはその資格がある」と続け、私を右翼と左翼の世界に案内してくれた。
 最初にいった左翼の集会は、専門用語ばかりで何を言っているのかさっぱりわからなかった。その次に連れて行かれた右翼の集会は、むちゃくちゃわかりやすかった。
 「お前が生きづらいのは、すべてアメリカと戦後民主主義が悪いのだ!」
 右翼の人はそう断言した。それまで、自分が生きづらいのはすべて自分の個人的な資質のせいで、いじめられたのも人生がうまくいかないのも貧乏なのも、全部自分が悪いのだと思っていた。しかし、右翼の人たちは「アメリカ」と「戦後民主主義」が原因だと言うではないか。生まれて初めて、私は「免責」された。
 あなたは悪くない。そんな優しいメッセージを、よりによって右翼からもらった。右翼と左翼の違いやその主張さえわからなかったけれど、私はその右翼団体に入った。そうしたら、それまであんなに激しかったリストカットがぴったり止まったではないか。「右翼療法」だ。1997年。バイトもしょっちゅうクビになり、大学には入れず、就職氷河期で就職など夢のまた夢、東京には家族もいなければ地域社会にも属さない地方出身のフリーターの私には、所属する中間団体がひとつもなかった。そんな私は「国家」に優しく包摂された。そうして私が右翼団体に入った翌年、「戦争論」(小林よしのり)が出版された。 (あまみや・かりん/作家)

 

天皇メッセージと米軍支配」 琉球新報 儀間眞治 70 (沖縄県西原町)/4面

 1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本は国際社会に復帰した。極東の平和と安全、日本を守るとの名目で日米安保条約も発効し、沖縄は切り離された。沖縄は敗戦後から米軍支配の植民地にされた。
 それを後押しした一つに昭和天皇メッセージがある。既に象徴天皇だった47年9月、「25年~50年あるいはそれ以上、米軍が沖縄に駐留することが、両国にとって望ましい」と述べたという。
 敗戦から27年余り。沖縄の祖国復帰まで、さまざまな人権侵害があった。米兵らの占領意識は変わらず、現在でも事件・事故が多発している。
 中でも衝撃的な事件は、軍道1号線(現在の国道58号)で、米軍の大型トラックが赤信号を無視して上山中学生をひき殺した事件(63年2月)だ。私も中学生で祖父母宅に行く際、この道路を往来していた。結局、加害者は軍事裁判で無罪となった。
 軍隊とは戦争をするためにあり、殺人の訓練をする。人権思想は育たない。少年の頃から見てきた沖縄の現実。平和と人権を考える日が4月28日である。 (琉球新報