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時代を読む 「劇的事件になれる怖さ」 宇野重規

時代を読む 「劇的事件になれる怖さ」 宇野重規/5面

 2020年最初の寄稿である。今年の展望について、期待を込めて書きたいところだが、そのようなのんきな思惑を吹き飛ばすような事件が、昨年末から年初にかけて続いた。12月29日には前日産自動車会長カルロス・ゴーン被告の海外逃亡事件が、1月3日にはイランの革命防衛隊のソレイマニ司令官の殺害事件が起きた。性格は異なるが、どちらも冷水を浴びせられるような感覚を残した。
 両事件はひどく「劇的」であった。まるで映画の出来事と言ってもいい。ゴーン被告は音響機器用の箱に隠れ、プライベートジェット機で脱出したという。複数の国籍の人物が関与し、米陸軍特殊部隊グリーンベレーに所属した経験のある人物が助けたとの報道もある。ますますハリウッド映画風である。保安検査の甘い関西空港が狙われるなど、入念な準備の上での「逃亡劇」であった。
 ソレイマニ氏の殺害は、シリアからバグダッドの国際空港に到着したソレイマニ氏が車で移動中に発生した。ドローンのミサイル攻撃によるものであり、居場所について米軍による詳細な監視と追跡がなされていたことがわかる。さながらスパイ映画の印象があるが、かくもピンポイントな攻撃が可能なのかと思うと、SF映画的にも思えてくる。いずれにせよ驚くべき「暗殺劇」であった。
 ただし、劇は劇でも、ひどく安っぽい三文芝居の印象があることも否めない。ゴーン被告の逃亡は、長期の勾留により自白を強要するなど、「人質司法」とも批判され、人権に反する日本の刑事司法の問題点を、世界にさらすことになった。もちろん、だからといって一国の制度の裏をかいて逃亡することが正当化されるわけではない。グローバルエリートの身勝手さを感じてしまうのも事実である。
 ソレイマニ氏の殺害についても、トランプ米大統領がいかにテロ対策の正統性を主張するにせよ、一つ間違えば世界的な戦争状態を招きかねない危険な蛮行であった。トランプ流の計算があったにせよ、ギリギリの賭けに似た行為であり、米国首脳の「予測不可能性」ばかりを印象づけた。その決断の背景には、米大統領選への対策があることは明らかで、大国の国内事情で世界が揺さぶられる危険性を痛感させられた。
 あらためて思うのは、今日の世界が「帝国主義」的になっていることである。さながら、サラエボにおける一発の銃声が第一次世界大戦を引き起こしたように、何か一つの偶発的事件によってバランスが崩れ、戦争が起きてもおかしくないのが世界の現状である。各国指導者の自国第一主義が加速し、それを抑制するはずの国際的な制度は空洞化するばかりである。グローバルエリートの身勝手さが目立ち、金と力があれば何でも押し切れるという思いが、ますます状況を悪化させる。
 何より恐ろしいのは、このような現状を当たり前のように受け止めてしまう自分自身の感性である。こんなことが起きてもおかしくない。ドラマ以上にドラマ的なのが現状だ。そう思っているうちに、やがて事件を忘れてしまい、次の劇的な出来事をぼんやりと待っている。誰もが無責任な観客となってしまう危険性をまざまざと痛感した、2020年の幕開けであった。
 世界は流動化し、不安定化している。傍観しているだけでは無力になるばかりだ。
 (東大教授)